TEPCO

東京電力ホールディングス株式会社

中田エミリー × 第一保全部
建築(第一)グループ
マネージャー
水谷浩之

SPECIAL INTERVIEW
新潟で働く
私たちの思いVol.1

2017年11月取材

SCROLL

実現したい思いがある。
追求し続けたい安全がある。

電気を作っていない発電所では、
今、何をしているのですか?

中田
こんにちは。今日はよろしくお願いします。
水谷さんは、発電所でどんな仕事をされているのですか?
水谷
今は、主に安全対策設備の設計などを担当しています。例えば、水密扉の設置もその一つです。
中田
水密扉?
水谷
柏崎刈羽原子力発電所では、津波や浸水に備えた安全対策をいくつも行っています。
その中の一つで、建物内の重要な機器などがある部屋に水が入らないように設置されている扉が水密扉です。
中田
水密扉・・・すごそうな名前ですね。
水谷
潜水艦のハッチのような扉で、厚さは約20センチメートルあります。ただ水が入らないようにするだけではなく、強い衝撃や水深10メートルの水圧にも耐えられるように作られています。
中田
それなら水は入ってこなさそうですよね。発電していないのに、いろんな仕事があるのですね。
水谷
ええ。
稼働していない今でも、安全対策工事などで、たくさんの人が発電所で働いているんですよ。
中田
なるほど、そうなのですね。

福島第一原子力発電所の事故で
安全に対する考え方が
変わったりしたのですか?

中田
津波と聞くと、やっぱり福島第一原子力発電所の事故を思い出します。あの時はどうされていたのですか?
水谷
私はもともと地震対策の技術者だったので、どれほど大きな地震に耐えられるかということを考えて設計に取り組んでいました。そんな時に起こった東北地方太平洋沖地震は、私の想像を大きく上回る規模でした。福島第一は、その揺れには耐えることができたものの、その後の津波により、重大な事故に至ってしまいました。その様子を事故対応の中で目の当たりにし、いち技術者として、非常に悔しい思いをしていたのを覚えています。
中田
それはつらかったですね。
水谷
でも、それ以上に、事故後、それまで築き上げてきた原子力事業者としての信頼を失ったことが何より一番つらかったです。
中田
そのような思いをされたのでしたら安全に対する考え方や取り組み方も変わられたんじゃないですか?
水谷
はい。失った信頼はすぐに取り戻せるものではないと思いますが、事故を経験した我々だからこそ、事故を反省し、その教訓をしっかり活かして、より安全なものを築いていかなければならないという意識を持つようになりました。
中田
事故の教訓とは、どんなことでしょうか?
水谷
事故の一番の教訓は、想定を上回る大きな災害や事故は、「起こるかもしれない」ではなく、「起こるものだと考えなければならない」ということです。ですから今は、より大きな災害が起こることを実感をもってリアルに想像し、ここまで考えているんですって胸を張って言えるまでとことん高いレベルを追求していきたいと、日々の安全対策に取り組んでいます。

これからどんな発電所に
していきたいですか?

中田
そこまでとことんやろうって思える、その力の源は、何ですか?
水谷
一つは、原子力発電所の技術者としての責任感です。もう一つあるとすれば、「新潟への感謝の気持ち」ですね。
中田
感謝の気持ちですか?
水谷
首都圏の暮らしを支える電気をずっと供給してもらっていたということもそうですが、私自身、仕事でつらい思いをした時に、趣味の登山で新潟の山から大自然のエネルギーをもらったり、お米やお酒など美味しい食べ物からパワーをもらいました。
中田
あ、わかります!新潟ってなぜか元気になりますよね。私も新潟で働いている時とそうじゃない時でテンション違いますから。
水谷
そんなお世話になっている新潟を危険な目に遭わせるようなことは絶対にしたくない。だから、自分にできることを精一杯やり、仲間とともに発電所の安全対策に徹底的に取り組む。そして、その行動と姿勢を見ていただいて、新潟のみなさまに認めていただけるような発電所にしていきたいと思っています。
中田
そうなれるといいですよね。では、私からもパワーを送りましょう。ヤー!